持続可能な社会へのパラダイム・シフトに向けた情報発信サイト

フィンドホーン体験記第6章

フィンドホーン体験記第6章

トランスフォーメーション・クイズ解答

 禅・味噌汁作りの芸術とは、英語にすると、Zen and the Art of Miso Soup Makingになるわけですが、これはある書名を文字ったものです。日本ではあまり有名ではないですが、英語圏ではベストセラーになったものです。

 そこでクイズ。その書名とは次のどれでしょうか?

1、Zen and the Art of Motercycle Maintenance

2、Zen and the Art of Flower Arrangement

3、Zen and the Art of Conscious Healing

正解は1です。日本語では『禅とオートバイ修理技術』という題で、めるくまーる社から出ています。

共同体員のインタビュー

 今週からはフィンドホーンに住んでいる人たちのインタビューを特集します。これは、1986年に行われたものなので、内容も時代背景も、すべてその時点でのことであるということを、ご了承ください。

キャラバンパーク

 体験週間が終わり、僕はキャラバンパークへ移動した。今日からはすべて一人での行動なので急に心細くなった。みなと別れた悲しみも十分に消えないまま、心の中は空虚感に包まれていた。
 食堂でトムとマリアに会った時は喜びでいっぱいだった。僕らは大きなハグを交わす。彼らは『内的世界への探検』というワークショップに参加していた。
 僕はキャラバンパークのある家庭の家に滞在することになった。正式にはベッド・アンド・ブレックファースト、つまり民宿だ。ただ、ほとんどの時間を外で過ごしていたので、ホストファミリーと過ごす時間はほぼゼロに等しかった。キャラバンパーク内の様々な施設を訪ねたり、多くの人と会ったりした。

レイチェル

 さて、僕がどのようにインタビューする人を見つけたかというと、平和運動家のインタビューがスムーズにいったのと同じように、ここでも意外とスムーズに運んだ。
 きっかけを作ったのはレイチェルだった。クルニーヒルの本屋で働いていた人だ。体験週間中に、彼女に本のプロジェクトのことを話したら、だったらこの人とこの人とこの人にインタビューすればいいと、すべてセットアップしてくれたのだ。

 レイチェルはロサンジェルス出身で、60代前半。最初にフィンドホーンに来たのは1976年だ。一年滞在し、アメリカへ戻り、九年後にまたやってきた。ロスでは会社の人事部長をやっていた。

レイチェル 
 1976年と比較すると、共同体は大きく変わったわ。当時は平均年齢が21歳と若く、カウンターカルチャー運動の最後の波に乗ったヒッピーたちがアメリカやイギリスから押し寄せてきていた。

 若い世代と、古い世代のピーターたちとの間に、衝突がなかったといえば嘘になるけど、ほとんどの人はピーターの規律についてきた。ここに来るまでは麻薬をやっていたような人たちも、完全に断つようになったの。ここでは麻薬を使わなくても、天国のような気分を味わえるからね。

 当時は、滞在年月も短く、半年ぐらいで去っていく人が多かった。だから入れ替わり立ち替わりいろんな人が来ていた。若いからしょうがないわね。彼らはまだ外で経験することがたくさんある。でも、逆に彼らの存在が多くの新しい文化を共同体に持ち込んだという利点もあるわ。実際、多くの人は外で経験を積んだ後で戻ってきて、さらに別のものを共同体に与えたわ。

 現在は平均年齢が35歳。みな家族を持っていて、ここに住み着こうとしている。国際色も豊かになったわ。昔は英語圏がほとんどだったけれど、今では、ドイツ、オランダ、スカンジナビアからも人がたくさん来ている。ドイツ人は仕事をする時の秩序というものを共同体に持ち込んだ。

 ここでは誰もが平等で、今までのように、重役である自分の意見を無条件に聞いてくれるということはないわね。反対に、自分も他の人の意見に耳を傾けなければならない。その代わり、ここでは誰も年齢のことなんか気にしない。年寄り扱いされることもないし、若い人とも友達のように何でも話せるの。

ジュディ

 ニューエイジ運動全般にいえることだが、どちらかというと、自分を内側から変えることに興味があり、社会変化などにはあまり興味がない人が多いというのが僕の印象だ。ジェデイは平和運動や環境保護運動にも関わっているということで、僕は興味を持った。ここに来る前は、ベアトライブというアメリカインディアンの共同体に滞在したこともある。

 僕は、彼女がニューエイジのその傾向についてどう思っているか、訊いてみた。

ジュディ
 それは私にとってもとても難しいところね。確かにあなたの言うことは当たっていると思う。ただ、同時にその両方にまたがっている人もいることはいるわ。政治的に活発な人は、ただキャンペーンをしているだけでは世の中は変わらないと気づきはじめてきていているし、精神活動に努めいる人たちも、自分を変えるだけでは足りないということに気づきはじめている。

 私は今まで政治活動と精神活動を別々にやってきたの。ある時は政治活動に専念して、別の時は精神活動に集中した。心の中に安らぎのない状態で社会運動をやっていて、ある地域の黒人たちを怒らせてしまったことがあるの。それ以降自分のあり方を反省し、自分の中に完全な愛が芽生えるまでは活動しないと、ずっと運動から離れていた。

 でも、今ではだいぶ落ち着いてきて、内的変化と外的変化の双方を統合させることができるようになった。だから、今では社会運動も頑張っているわ。政治家に手紙は出すし、バナナも食べない。(当時南アフリカ産のバナナはアパルトヘイトを推進する白人企業を支持したくないという意味でボイコットされていた)

 フィンドホーンでも二つの運動の融合ということが最近話題になってきている。逆に、ここでの手法がアメリカの平和運動などに使われるようにもなっているわ。サンフランシスコなどでは、デモをする前に参加者が一週間ぐらい集まって体験週間のようなことをするの。デモに行くまでには、グループの中に深い絆ができあがっている。怒りを持ったままデモに参加するのではなく、自分たちの内側にまず平和を作り出すことが大切だと、多くの人が感じはじめているわ。


 ベアトライブとはどう違いますか?

ジュディ
 ベアトライブはもっと小さな共同体で、それだけ家族的なつながりがあったと思うわ。白人とアメリカインディアンの人たちが半々ぐらいだったんだけれど、意見の食い違いとかもすぐ表に出るから、みなと仲良くする方法を学ばなければならなかった。

 それに比べてフィンドホーンはサイズが大きいので、共同体員全員と接触するわけでもない。場合によっては自分とうまの合わない人との交流を避けるスペースもあるの。ただ、その分、ここでは人と親しくなるのにある程度の努力をしなければならないわね。

 あと、ベアトライブではアメリカインディアンの哲学というのが共通の価値観として存在していたけれど、ここは仏教でもキリスト教でも、人智学でもシャーマニズムでも何でも受け入れられている。その辺が自由だわ。ただ自由がある所には、責任も生じ、目的地に到達するために、自分で地図を描いていかなければならない。

トムが去ってしまう

 トムもキャラバンパークに泊まるので、夜はいろいろ話せると思って楽しみにしていた。しかし、夕方彼の部屋を訪ねると荷造りをしている。
「どうしたんだ?」僕は慌てて言った。
「俺は帰る。もううんざりだよ」彼は言った。

続く

今後の予定

第7章

次回は、フィンドホーン内にあるシュタイナー学校で教えるリリイと、ヒューマニティ・ギャザリングというイベントを企画しているハリー・ムラーという人のインタビューです。

第8章

キムとデミアンは共同体で育ちました。自分で選んでやってきた他のメンバーとは違う彼らを、直撃インタビュー。

第9章

アレックスは経理を担当。そんな彼に、フィンドホーンとお金について訊き出します。『マリアエネルギー』に出てきた池沢美明の突っ込みの原点は、ここにあった。そして、待ちに待ったぶっとんでいるお兄ちゃんの登場。フィンドホーン・カレンダーを作ったアラン・ワトソンにマイクを向けます。

トランスフォーメーション・クイズ

 僕は全部で八人の共同体員をインタビューしました。レイチェル、ジュディ、リリイ、ハリー・ムラー、キム、デミアン、アレックス、アラン・ワトソンです。

ところで、この中に、僕が体験週間で一緒だったグレッグという人の友達がいます。

それは誰でしょうか? バックナンバーを見ればわかります。

正解は次回

第7章
第1章に戻る

powered by Quick Homepage Maker 4.78
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional